関東有数の長い歴史と、壮大で不思議なスポットを多く持つ茨城県の「鹿島神宮」。
このサイトでは以前、鹿島神宮の魅力や、周辺の観光スポットなどについて詳しくご紹介しました。
壮大な景観やミステリアスなスポットが点在する鹿島神宮ですが、そこに祭られている神様(ご祭神)は、一体どのような人物だったのでしょうか?
今回は日本神話を基に、鹿島神宮に祭られている神様「建御雷神(タケミカヅチ)」はどのような存在だったのかをご紹介したいと思います。
タケミカヅチを祭る鹿島神宮とは?
本題に入る前に、鹿島神宮の大まかな概要も押さえておきましょう。
鹿島神宮は今から約2680年前に創建され、武甕槌大神(タケミカヅチ)をご祭神として祭られています。
鹿島神宮の大まかな特徴
・珍しい造りの拝殿・本殿
・日本三大楼門
・800種近くの草木が生い茂る参道と広大な敷地
・要石、御手洗池などの不思議スポット
・周辺の西の一之鳥居(水上鳥居)
などなど、ここでは挙げきれないぐらい魅力的なスポットが点在する観光地となっています。
鹿島神宮と周辺観光スポットは超壮大!鹿島神宮の見どころ・すごいポイントをわかりやすく解説
鹿島神宮の景観はもちろん素晴らしいのですが、そこの神様である「タケミカヅチ」もまた日本神話において大変重要な役割を果たした神様として知られています。
鹿島神宮の神様・タケミカヅチと国譲り神話
ここからは、鹿島神宮の御祭神「タケミカヅチ」はどのような人物だったのか、どのような歴史を歩んできたのかなど、できるだけ分かりやすくお話します。
神話の時代、大国主(オオクニヌシ)という神様がいました。
オオクニヌシは地上で水を潤したり、稲を張ったりし、私たちが住んでいる地上にて国造りを行っていました。当時この地上は、葦原中国「あしはらのなかつくに」と呼ばれていました。
そのオオクニヌシが作った葦原中国(あしはらのなかつくに)を見たアマテラスは、自分の息子「アメノオシホミミ」に統治させようと試みます。
アマテラスは地上へ幾度となく使者を派遣しますが、ことごとく失敗に終わってしまいます。
その後、剣の神様「アメノオハバリ」に相談し、彼の息子「タケミカヅチ」をオオクニヌシの元へ直接派遣し、国譲りを行わせました。
この「タケミカヅチ」こそ、鹿島神宮に祭られている神様なのです。
※ちなみに「アメノオハバリ」は現在島根県の斐伊神社(ひいじんじゃ)と宮城県の「鹿島天足別神社」(かしまあまたらしわけじんじゃ)に祭られています。
国譲り神話のPoint ①
オオクニヌシが地上にて国を造る
→アマテラスはこの国を欲しがった
→タケミカヅチをオオクニヌシの基へ派遣し、「国譲り」の交渉させる
剣の神・タケミカヅチ VS タケミナカタ
アマテラスの使者として派遣されたタケミカヅチは、出雲国の稲左浜にいるオオクニヌシの元を訪れ、国譲りの相談を持ちかけました。
ここで争いになるかと思いきや、オオクニヌシは意外にも、息子の「コトシロヌシ」と「タケミナカタノカミ」に相談するように持ちかけます。
息子の一人であるコトシロヌシは事情を聴き、これを承諾しますが、もう一方のタケミナカタはこれを認めず、タケミカヅチに対して力比べを挑みます。
しかし、剣の神と称されたタケミカヅチには敵わず、そのまま諏訪湖(現長野県)へ逃走したと言われています。
その後、追い詰められたタケミナカタは葦原中国(あしはらのなかつくに)を渡し、なおかつ自分は諏訪湖の地から外に出ないことを約束しました。
※現在タケミナカタは長野県の諏訪大社に祭られ、出雲は国譲りが行われた神話の地として語り継がれるようになりました。
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この国譲りを成功させた「タケミカヅチ」は鹿島神宮の御祭神として今日も祭られているのです。
国譲り神話のPoint ②
タケミカヅチが直接オオクニヌシに国譲りを交渉
→オオクニヌシは国譲りを承諾
→息子のタケミナカタは認めず、タケミカヅチとの力勝負に発展
→タケミカヅチがこれを圧勝
→「国譲り」が成立
国譲りの条件として建てられた出雲大社
ちなみにこの時、国譲りを承諾したオオクニヌシは下記のようなお願いをしました。
アマテラスが住むような立派な宮殿を作ってほしい
こうして建てられた宮殿こそが、現在の「出雲大社」と言われています。(タケミカヅチが降り立った稲左浜も実際に存在します。)
つまりこの時、タケミカヅチが国譲りを成功させていなければ、出雲大社は建造されていなかったかもしれないという事になります。
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国や領土を奪い合う時は、高確率で争いが起きるものですが、オオクニヌシは「自分で造った国を交渉だけで譲ってしまった」という、少し不思議な一面が見て取れますね。
※ちなみに、出雲では日本最大級の量を誇る「銅剣」や「銅鐸」が発見されており、かつてこの地では、国家間の大きな争いがあったのではないか?という説もあるのです。(この争いを神話化したものが、タケミカヅチとタケミナカタの戦いとの説もでていたりします。)
神話から繋がる鹿島神宮のレイライン
タケミカヅチの活躍により、葦原中国(あしはらのなかつくに)はアマテラスの系譜へと渡り、この神話は「大国主の国譲り」という神話として語り継がれているのです。
ちなみに、この後二二ギと呼ばれるアマテラスの孫が新しい統治者として、宮城県の「高千穂」から葦原中国(あしはらのなかつくに)に舞い降ります。日本神話では、天孫降臨と呼ばれています。
面白いことに、この天孫降臨が行われた高千穂から鹿島神宮までを線で繋ぐと、その中間には様々な歴史的建造物やスポットが浮かび上がるのです。
鹿島神宮と高千穂を繋ぐレイライン
・高千穂
・剣山
・伊勢神宮
・富士山
・明治神宮
・皇居
・鹿島神宮
なぜ「鹿島神宮」がこのレイラインの終わりに位置しているのかは不明です。
しかし、「神が舞い降りた高千穂」と「そのきっかけを作った神が祭られる鹿島神宮」が一直線に繋がっていることも、何か意味があるのかもしれませんね。
鹿島神宮の神話・まとめ
以上が鹿島神宮の神様「タケミカヅチ」とその神話に関するお話でした。
これらの神話的観点を踏まえた上で鹿島神宮を訪れてみると、より一層観光が楽しくなりますね。
鹿島神宮に興味のある方は、是非とも下記の記事も併せてご覧下さい。