【岡本八幡神社】東京のレイライン上にあるパワースポットとは?現地調査を元に歴史を徹底解説

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東京都には約1,400以上の神社があるといわれていますが、その中でも世田谷区の一角に「岡本八幡神社」という神社が建てられています。

この岡本八幡神社は歴史こそ古くはないものの、下記のようなミステリアスな特徴があります。

  • 歴史的建造物が立ち並ぶ「レイライン」と呼ばれる場所に位置している
  • 巨万の富を築いた三菱財閥の先祖のお墓が境内の裏に建てられている
  • かつてこの周辺で起きた恐ろしい祟を沈めた場所でもある

今回は、このミステリーに富んだ「岡本八幡神社」を現地調査してきましたので、その歴史や概要を詳しくご紹介したいと思います。

世田谷区を通過するレイラインとは?

岡本八幡神社が建つ場所を通過する「レイライン」とは、日本のみならず世界各地で見られる不可思議な現象の一つです。

日本の場合は、夏至の日に南の高千穂から東の鹿島神宮へと一直線に影が通るといわれており、その経過地点には下記のような歴史的なスポットが立ち並びます。

  • 高千穂
  • 剱岳
  • 富士山
  • 伊勢神宮
  • 皇居
  • 鹿島神宮
  • etc…

なぜこのような並びに沿って建造物や遺跡が建てられたのか、一体誰がどうやって正確にレイラインを把握していたのかは不明です。

また、以前に当サイトでもご紹介した平将門の怨念が残るとされる地「将門塚」もこのレイライン上に位置しています。

関連記事:平将門の怨念は今も存在する…東京の最恐スポット「将門塚」を調査してきた。歴史も併せてご紹介

そして、今回ご紹介する「岡本八幡神社」も将門塚や皇居と並び、東京のレイライン上に位置するスポットといわれているのです。

世田谷・岡本八幡神社とは?歴史を解説

画像:岡本八幡神社

ここからは、そんなレイライン上に位置する岡本八幡神社の歴史や見どころなどを解説します。

世田谷の歴史を書き残した文献「世田谷広報室」によると、岡本八幡神社の古い記録などはほぼ残っておらず、いつ建てられたのかは不明です。

しかし、1854年には改修工事を行った記録があるため、少なくとも江戸時代には存在していたことになります。

なぜ東京都内の神社であるにも関わらず創建記録が残ってないのかというと、この世田谷区はかつて非常に小さな村「岡本村」だったため、そもそも記録を取る必要性がなかったからだと推測されます。

1982年に発行された文献「世田谷、町村のおいたちによる」と、1808年の岡本村の人口はわずか220人だったそうで、当時は木が生い茂る土地だったともいわれています。

「昔の世田谷は草木が生い茂る土地だった」

1926年の昭和初期に入ると、岡本村を含む世田谷エリアは下記のように徐々に土地開発が進んでいったそうです。

画像:岡本村の土地開発

そんな岡本村は偶然にもレイライン上に位置していた訳ですが、残念ながら岡本八幡神社が建てられた経緯は不明となっています。

岡本八幡神社によって封じられた第六天の森の祟り

昭和時代に入り、土地開発が盛んに行われた岡本エリアですが、その時に人智を超えた事件が起きたといわれています。

かつて岡本の地には第六天の森と呼ばれる場所が存在したそうで、ここも土地開発の対象エリアとなっていました。

そして‎2017年に発行された著書、「第六天はなぜ消えたのか」によると、1964年の都市開発の際にこの第六天の森でも森林伐採が行われたそうですが、そこで不可解な事故や怪我人が続出したといわれています。

「人々はこれを第六天の祟と考えた」

もともと、第六天という名前は仏教の世界では魔王の階級にあたる神さまのことで、日本各地にその第六天を祭る神社やゆかりの地が存在します。

その内の一つがこの第六天の森だったということですが、この事故に怯えた人々は森の一部を避ける形で土地開発を進めたそうです。

そして後に第六天の神は岡本八幡神社に合杯される形となり、現在も祀られているそうです。

まだまだある・岡本八幡神社周辺の見どころ

画像:岡本八幡神社の本殿

ここまで岡本八幡神社の概要や歴史をご紹介してきましたが、その周辺の見どころなども解説したいと思います。

岡本八幡神社自体は非常に小さな社となっていますが、裏側には下記のようなスポットが点在しています。

  • 三菱財閥2代目・岩崎弥之助のお墓
  • 歴史的資料を保管する静嘉堂文庫
  • 世田谷の絶景が見れる展望台
  • 日本家屋などがある岡本公園

これらをじっくり回ろうと思うと1時間ぐらいは掛かりますが、非常に密度の濃い体験をすることができます。

三菱財閥2代目・岩崎弥之助の納骨堂

画像:弥之助の納骨堂

岡本八幡神社の裏手には、イギリスの彫刻家・ジョサイア・コンドルによりデザインされた「岩崎家の納骨堂」が建てられています。

岩崎家というのは、当時日本最大の財閥といわれた三菱財閥を創設した一族で、こちらはその2代目跡取りの「岩崎弥之助」のお墓として建てられました。

ちなみに、三菱財閥は19世紀後期から20世紀にかけて下記のような様々な産業ビジネスを展開しました。

  • 海運業
  • 保険業
  • 銀行業
  • 造船業
  • 倉庫業
  • 鉱山業
  • etc…

上記のような巨大な産業を抱えた結果、当時の三菱財閥の総資産は120兆円に登るといわれています。

2020年の日本の国家予算が約102億円ですので、一企業がそれを凌ぐ資金と影響を持っていたことになりますね。

「三菱財閥と岩崎家は巨万の富と産業を持っていた」

しかし、三菱財閥は第二次世界大戦にて政府の権力、軍国主義に加担したとみなされ、本社はGHQによって解散に追い込まれてしまいます。

その後、三菱の各子会社は分裂していき、現在の各三菱〇〇を名乗る会社へと変化していったのです。

なぜ岩崎家はここに納骨堂を建てたのか?

先程も触れたとおり、岡本八幡神社の裏には岩崎弥之助のお墓が建てられています。

その美しい造りとスケールから想像するに、どれほど巨額の費用をかけたのかは容易に想像ができますね。

「当時の日本財閥界トップのお墓なので、壮大なスケールとなっている」

しかし、なぜ日本トップ財閥の総帥が周りを住宅街に囲まれた場所にお墓を建てたのでしょうか?

これに関しては明確な資料が存在するわけではないが、岩崎弥之助がこの場所のレイラインの存在を知っていたとすれば、不思議な話ではありませんね。

静嘉堂文庫

画像:静嘉堂文庫

こちらも岡本八幡神社の裏手に位置しており、岩崎家が保有していた膨大で貴重な資料や芸術作品などが展示されています。

  • 古典籍 20万冊
  • 東洋古美術品 6,500点
  • 84点の重要文化財
  • 7点の国宝

また、静嘉堂文庫は主に研究者用に公開されているため、大学生などが立ち入る場合は紹介状が必要となります。

展望台・日本家屋

静嘉堂文庫の周辺は非常にキレイに整備されており、緑豊かな自然が生い茂る空間となっています。

日本とイギリスの友好関係を象徴する「日英グリーン同盟記念樹」や、多数の柱によって補強されている樹木などが植えられています。

画像:静嘉堂文庫付近の樹木

そしてその横には、世田谷区岡本を見渡せる展望台のようなスポットもあり、晴れた日には見晴らしも良好です。

画像:岡本八幡神社の展望台

また、これらのスポットから階段を降ると岡本公園があり、こちらは古き良き江戸時代の民家が再現された家屋が併設されています。

画像:岡本公園
画像:岡本八幡神社の入り口

岡本八幡神社や静嘉堂文庫に訪れる予定の方は、ぜひお立ち寄り下さい。

岡本八幡神社・静嘉堂文庫へのアクセス

岡本八幡神社ならびに静嘉堂文庫へ公共交通機関を使ってアクセスする場合の方法としては、下記の通りです。

新宿駅からアクセスする場合

→JR山手線 渋谷品川方面行き 乗車
→渋谷駅 下車
→東急田園都市線 中央林間行き 乗車
→用賀駅 下車(最寄り駅)

乗車時間 30分
運賃 356円

用賀からは徒歩約25分ほど住宅街を歩くことになります。

しばらく歩くと先程の岡本公園に到着しますので、その横の石階段を昇ると岡本八幡神社へとアクセスできます。

岡本八幡神社・まとめ

以上が岡本八幡神社とその周辺観光スポットのご紹介でした。

東京や関東近郊にはレイライン上に位置する名所がまだまだ沢山ありますので、他の記事もぜひ参考にしてみてください。

参考文献

  • 川副秀樹 (2017/8/30).『「第六天」はなぜ消えたのか』 言視舎
  • 櫻井正信 (1986).『せたがやの民謡と伝説』 世田谷区広報室
  • 世田谷区 (1976/9/25). 『世田谷の歴史』 大日本印刷株式会社
  • 太田垣雄・石谷侑三・今井咲子・宗こうすけ (1982/10/1) 『世田谷、町村のおいたち』 世田谷区区長広報室
  • 『世田谷の地名』.(1989) 東京都世田谷区教育委員会
  • せたがや百年史委員会 (1992/4/20). 『せたがや百年史』 大日本印刷株式会社
  • 世田谷区生活文化部文化・交流課 (1999/2/1). 『ふるさと世田谷を語る』 幸永印刷
  • 「三菱グループサイト 三菱の歩み 沿革」 (発行年不明). https://www.mitsubishi.com/ja/profile/history/, (閲覧日:2022/1/12)
  • 「三菱グループサイト 三菱人物伝」 (発行年不明). https://www.mitsubishi.com/ja/profile/history/series/, (閲覧日:2022/1/12)
  • 「三菱グループサイト 三菱人物伝 岩崎彌太郎」 (発行年不明).https://www.mitsubishi.com/ja/profile/history/series/yataro/, (閲覧日:2022/1/12)