【海人族】日本の海を支配した集団とは?海人族の歴史や安曇野開拓などを徹底解説

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優れた航海術や漁業の技術を持ち、かつて海上で活躍したといわれている「海人族」

その海人族がもたらした功績は日本の歴史にも大きな影響を与え、さらには海を離れ長野県・安曇野などの陸地をも開拓したといわれている。

しかし、海人族に関する情報は非常に少なく、現在でも研究が難航しているのが現状だ。

そこで今回は数少ない参考文献を基に「海人族」の歴史やゆかりの地、そして彼らがどのような影響を日本に与えてきたのかを分かりやすく解説していきたいと思う。

海のスペシャリストに「海人族」とは?

まず最初に海人族が一体どのような集団だったのかを大まかに説明したいと思う。

海人族は「かいじんぞく」、「わだつみぞく」など様々な呼び方があるが、おおむね「あまぞく」と呼ばれることが多い。

主な活動内容としては、漁師のように魚や貝類の捕獲・採取、さらには優れた水運や航海術も持ち合わせており、海上輸送などの交易にも長けていたといわれている。

地域ごとに多少特色は異なるが、「海に関するスペシャリスト集団」というとイメージしやすいかもしれない。

冒頭でもお伝えした通り、海人族は古くから日本に定住しており、弥生時代には既に日本列島で暮らしていた可能性もあるといわれている。

彼らは後に様々な一族(氏族)へと分裂していき、中には川や谷に沿って日本列島の奥深くへと移住する者たちも少なくなかった。

後ほど詳しくご紹介するが、海とはかけ離れた土地・長野県安曇野は、海人族が開拓した地としても知られており、彼らの様々な痕跡を辿ることができる。

Point

  • 漁労や航海術などに長けた集団だった
  • 弥生時代には列島で生活していたといわれている
  • 各地の集団が氏族へと分裂していき、列島の奥地を開拓する氏族もいた

海人族のルーツは海外にあった?

海人族の祖先については、各氏族ごとに様々な説が出回っているが、主に下記のアジア圏の国から日本列島へ渡ったのではないかと推測されている。

  • 中国南部
  • 朝鮮半島
  • インドネシアの島々

これらの国々が彼らのルーツとして挙げられる理由の一つに、海人族の間で語られる伝承が深く関係しているのだ。

海人族のルーツは「浦島太郎」と「かぐや姫」に隠されていた?

海人族の研究を行っている前田速夫氏の著書「海人族の古代史(2020)」によると、竹取物語(かぐや姫)の原型となった作品「羽衣説話」や浦島太郎の原型「浦嶋子伝承(浦島伝説)」は、海人族によって日本各地に伝えられたと推測されている。

画像:竹取物語のかぐや姫
竹取物語のかぐや姫

というのも、これらの話は京都の籠神社(このじんじゃ)に伝わる書物「丹後国風土記逸文」の中でも語られている伝承であり、さらにこの神社は「海部(かいふ)氏」という海人族の末裔が宮司(神職)を努めてきた神社でもあるのだ。

その証拠に、籠神社には日本最古の系図「国宝・海部氏系図」が今なお存在しているのだ。

さらに「羽衣説話」はアジア圏でも似たような伝承が残っているため、海人族が自分らの故郷(アジア圏)から列島に渡った際にこの話を運んできた可能性も高いとのことだ。

またこの作者は、下記の説話が散らばる地域の調査も行っていた。

  • 浦島太郎の原型「竜宮童子」
  • 羽衣伝説の変形である「天人女房」

その結果、これらの説話が分布するエリアは海沿いや当時の木造船が航海可能な大河の流域に多く見られることがわかったのだ。

先ほどもお伝えした通り、かつて海人族が海を活動の拠点とし、後に川沿いを進み列島を開拓していったことを考えると、浦島太郎と竹取物語の原型を海人族が日本に広めたとする説はあながち間違いではないとも考えられる。

そして、それらを逆算して遡っていくと、やはり海人族のルーツ=アジア圏説は非常に濃厚であるともいえるだろう。

海人族の祖先は日本の神様?

海人族=海外からの移住者という説は確かな根拠はなく、伝承や民族の痕跡を辿って推測していくしか方法はない。

しかし、非現実的な話をすると、公式な文章には海人族=日本神話に登場する神様の末裔という記載がなされている。

例えば、先ほどの籠神社に伝わる「国宝・海部氏系図」では、祖先を日本神話の神様・「彦火明命」とし、そこから平安時代までの神社に世襲した当主名を記録している。要は家系図の一番最初に神様の名前が記載されているのだ。

もちろん「海部氏」以外でも、日本神話に登場する神様を開祖とする海人族の氏族は多く、こちらも「天火明命」を祖先とするケースが多く見受けられる。

また、著書「海人族と鉱物(1992)」の作者・小田治氏は、海人族について下記のように述べられている。

八百万の神々の中に、海の神様がたくさんいます。

それが皆、代々の天皇家に繋がるのだから、「古事記」や「日本書紀」を読んでいるうち、今さらのごとく驚きもし、日本の基礎は海人族が築いたものではないかと思い至った。

小田治「海人族と鉱物」

この類の話を考察してたところで結局その真実は謎のままだが、海人族のルーツを辿る上では今後も重要になってくることは間違いないだろう。

Point

  • かぐや姫と浦島太郎の原型は海人族によって海外から日本に運ばれてきた可能性がある
  • 京都・籠神社(このじんじゃ)は海人族の子孫が代々神職を務めてきた
  • 「国宝・海部氏系図」という家系図が残っている
  • 海人族の祖先は「彦火明命」とする氏族が多かった

日本列島に散らばった海人族の氏族たち

優れた航海術や漁撈(ぎょろう)を営んでいた海人族だが、各氏族ごとに異なる特色を持ち合わせている。

例えば、先ほどもお伝えした「海部氏」は、海や川沿いの近くを拠点とし、漁猟に加え製塩、時には戦闘要員としての活動も行っていたといわれている。

また、海部氏は海人族の中でも最も有力な氏族であり、その所在地も多岐にわたる。

  • 対馬(長崎)
  • 出雲(島根)
  • 筑前(福岡県)
  • 因幡(鳥取)
  • 丹後(京都)
  • 上総(千葉)
  • 信濃(長野)

また、この他にもインドネシアにルーツを持つ可能性が高い氏族「隼人」は瀬戸内海の海賊(瀬戸内水軍)として勢力を伸ばし、「宗像」と呼ばれる氏族は素潜りや遠洋航海を得意としたといわれている。

このように海人族といっても様々な氏族が存在するわけだが、中には海沿いから日本列島の奥深くへと進行する氏族たちもいた。

その中でも一番注目すべきは、長野県の奥地を開拓した「安曇氏族」だ。

長野県・安曇野を開拓した海人族の一族

航海のみならず、船と釣・網漁の組み合わせを得意とした氏族「安曇氏(あずみうじ)」。

海人族の多くは陸で暮らすようになってからは、新たな生活を求め新天地へと移住したのだが、この安曇氏とよばれる氏族も例外ではない。

彼らは遥か昔に川に沿って、集団で長野県の奥地に進んだといわれている。

長野県・安曇野
現在の長野県・安曇野

前田速夫氏の「海人族の古代史(2020)」によると、安曇系海人族はインド、もしくは中国にルーツをもつ氏族といわれており、下記のルートを辿って日本列島にやってきたと推測している。

説1・ 中国→朝鮮半島→博多湾の志賀島(ここを拠点とし、領土を拡大)

説2・北九州→瀬戸内海→紀伊半島→志摩半島(西日本太平洋岸へと移動)

その後、定住の地を探すべく川を遡りたどりながら移動を繰り返し、流れ着いた場所こそが現在の長野県の安曇野だったといわれている。

穂高神社を建てて定住した安曇氏族

この場所の地名が「安曇野」と呼ばれていることから分かる通り、緑が生い茂る土地を開拓した安曇氏族にそのルーツがあることは明白だ。

彼らは森の中に「穂高神社」を建て、下記の海人系の神さま三神を祭ったとされている。

  • 穂高見命
  • 綿津見命
  • ニニギノミコト

特に綿津見命の読み方は「ワタツミ」だが、海人族が別名「ワタツミゾク」と呼ばれていように、ここでもそのルーツを少し垣間見ることができる。

この綿津見命は海を支配する存在「海神(海の神)」ともいわれており、安曇系海人族の始祖とされているのだ。

ちなみに、彼の娘は豊玉毘古命(トヨタマヒメ)と呼ばれており、現在でも島根県「稲佐の浜」の弁天島という場所にて祀られている。

関連記事:【稲佐の浜】出雲神話の舞台となった観光スポットとは?見どころと壮大な歴史をご紹介!

穂高神社の安曇氏に関係する行事

穂高神社では毎年9月26日と27日に例大祭「御船祭」が開催されている。

船の形をした木造の「山車」を複数造り、お互いに激しくぶつけ合うというものだ。

画像:穂高神社御船祭り
出典:穂高神社御船祭り信州とっておき情報

海上で活動していた海人族の名残りが、海から遠く離れたこの山奥の神社に行事として今なお残っていることが垣間見える。

浦島太郎のルーツが海人族にあった説が存在するように、深堀していけば日本のどこかでは海人族が持ってきた伝承・行事などが今でも存在しているとも予想することができる。

Point

  • 漁猟・製塩・遠洋航海・戦闘要員など氏族ごとに特色が異なっていた
  • 安曇氏は川を遡り長野県へと流れ着いた
  • 穂高神社にてその痕跡ルーツが垣間見れ

日本各地に存在する海人族のゆかりの地

先ほどの安曇野と同様に、日本にはまだまだ海人族ゆかりの地が数多く存在する。

その範囲は九州や関西、関東など広範囲に散らばってはいるが、ネットの情報はおろか参考文献の数も非常に少ないため、現地に伝わる伝承や痕跡を頼る必要がある。

ここからは私が独自に集めた情報を基に、海人族の伝承が残る場所として具体的な例を二つほど挙げてみたいと思う。

島根県・加賀の潜戸

画像:加賀の潜戸01

出雲大社で有名な観光地でもある島根県では、海人族が活発的に活動していたといわれている。

島根県古代文化センターの研究員・瀧音能之は自身の著書「古代出雲を知る辞典(2010)」の中で、島根半島部を中心として出雲の国には数多くの海人族が存在したと考えている。

というのも、出雲国風土記という書物には数多くの水産物の記載が描かれているため、現在の出雲市や松江市辺りでは海人族の活動も活発的だったと推測されているのだ。

そして、その付近で海人族の痕跡を辿ることができる場所こそが、全長200メートルの海底洞窟「加賀の潜戸」だ。

画像:加賀の潜戸02

ここはかつて海人族が暮らしていたとされる神聖な場所であり、別名「死者の国の入り口」、「賽の河原」とも呼ばれている。

奇妙なことに、洞窟内には無数のお地蔵さまと人形、お供え物が添えられている。

加賀の潜戸で語り継がれる「海人族の女神」

そして、この場所には下記のような伝説が語り継がれているのだ。

太古の昔、海人族(あまぞく)の女神たちが此処で子供達を産み育てた場所といわれています。

幼くして生命絶えた我が子を埋め小さい石の塔を積んだのが始まりとも云われています。

現在は、全国の亡き幼児の魂の集まる場所と云われている。

引用:賽のかわら伝説(加賀の潜戸現地にて記載)

ここに記載されている「海人族の女神」が人間の女性を表すのか、もしくは始祖である海人系の神々を示しているのかは不明ですが、海部氏が出雲を所在地の一つにしていたことを考えると、かつてここに海人族がいた可能性も少なくないことになる。

ちにみに、ゲゲゲの鬼太郎の作者「水木しげる」もかつてこの場所を訪れたらしく、著書の日本の妖怪・世界の妖怪(2018)では「あの世とつながる場所として息を飲んだ」と語られている。

あの水木しげるもインスピレーションを受けた「加賀の潜戸」だが、民俗学的にも非常に興味深い名所の一つであることは間違いないだろう。

ちなみに、出雲の地域は海人族が活躍し始めたといわれている266年〜413年頃の文献が存在しないため、その時代は「空白の四世紀」とも呼ばれているのだ。

その時に大和政権と古代出雲の武装勢力との間で大きな争いが起こったなどの説もあるが、この部分の歴史が解明されて行けば、海人族の動向も少しずつ明らかになっていくかもしれない。

【解説】古代出雲王国は存在した?歴史から消された勢力と「空白の四世紀」をわかりやすく解説します

Point

  • 出雲では海人族が活発的に活動していたと推測されている
  • 加賀の潜戸では「海人族の出産」に関する伝説が残っている
  • 水木しげるも幼少時代に訪れてインスピレーションを受けていた

神奈川県・龍口明神社

画像:龍口明神社 全体

神奈川県・江ノ島の「龍口明神社」にも海人族の伝承が残されている。

ここには五つの頭を持つといわれている「五頭龍」と「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」が祭られており、後者は先ほどもご紹介した安曇氏族の祖先の一つ「綿津見神」の子供であり、神武天皇の母でもあると伝えられている。

この龍口明神社では、玉依姫命は龍の神を統べる存在であり、海人族の祖先ともいわれているのだ。

この神社の創建は552年と、鎌倉市の中でも最もい神社の一つでもあるのだが、関東圏で海人族のルーツを辿ることの出来る数少ないスポットといえるだろう。

関連記事:江ノ島は立入禁止区域だった?龍口明神社に伝わる五頭龍・弁財天伝説からひも解く江ノ島の歴史とは?【現地調査】

Point

  • 御祭神は安曇氏の祖先の子供でもある玉依姫命
  • 龍の神々を束ねる存在ともいわれている

海人族の歴史と解説・まとめ

海人族に関する研究はまだまだ不明瞭な部分が多いが、今回ご紹介したように、その痕跡は日本各地に今も散りばめられている。

もしこの記事で海人族に興味が湧いたのであれば、出雲や安曇野などにもぜひ自分の足で訪れてみていただきたい。

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参考文献リスト