北海道グルメにこんな歴史が‥地元民が解説する北海道の絶品グルメ料理✕開拓史!

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皆さん、北海道の歴史や食文化、地理などについて学校でどのように習いましたか?

北海道の冬は氷点下の世界、地域によってはマイナス30度以下の寒さになる土地として知られています。

また、学生時代に何度も日本地図をご覧になったかと思いますが、北海道はその大きすぎる土地柄、地図では縮小して掲載されていたりします。

その他にも、北海道は日本各地から派遣された屯田兵(とんでんへい)と呼ばれるお侍さんや、各藩から来た人達の影響により、多種多様な食文化が育まれてきました。

今回はそんな「北海道の食文化」、「おすすめの絶品グルメ」などを「北海道開拓の歴史」と共に詳しくご紹介しいと思います。

北海道開拓の歴史とは?

北海道の食文化・グルメをご紹介する前に、まずは軽く「北海道開拓の歴史」について触れていきましょう。

先ほどもお伝えした通り、北海道の冬は非常に寒く、科学の発展していない当時の環境は、私たちの想像を遥かに超える過酷さでした。

そんな中で行われた「北海道の開拓」とは一体どのようなものだったのでしょうか?

北海道開拓の歴史は江戸時代まで遡ります。

江戸時代から始まった開拓は、明治7年に本格的に本州・四国・九州から蝦夷地(北海道)にやって来た「屯田兵(とんでんへい)」と呼ばれる侍達によって行われました。

明治4年には、既に蝦夷地の守護と開拓のために北海道にやって来ていたともいわれています。

画像:北海道開拓時の屯田兵(とんでんへい)
名前名前

テレビアニメ・漫画で連載中のゴールデン・カムイみたいな感じですね。

私の先祖も侍で、かつて屯田兵(とんでんへい)としてこの蝦夷地(北海道)に派遣されました。

そんな開拓中の蝦夷地で欠かせなかった存在、それが皆様もご存知の「アイヌ民族」の方々と言われています。

北海道開拓の敵は「寒さ」だった

先ほどもお伝えした通り、開拓時の寒さは想像を遥かに絶するものでした。マイナス15度を超えると、呼吸をするだけで鼻毛が凍るレベルです。それ以下の気温になると髪の毛や服も凍ります。

なので屯田兵の人達は、本土から犬を連れてきて、抱きかかえながら寝ていたと言われています。カイロみたいに体を温めていたのですね。

ちなみに屯田兵達は、最初は札幌市の琴似地区(ことにちく)に小屋を建てて暮らしていました。現在は、屯田兵達の魂を祀る「琴似神社」にてその痕跡が残されています。

画像:琴似神社

Point

・明治7年から本格的に始まったた北海道開拓

・「屯田兵(とんでんへい)」と呼ばれる侍達がやってきた

・想像を絶する極寒の中での開拓

・アイヌ民族による開拓のサポート

美食の町・十勝の開拓も始まる

ここからは十勝地方にフォーカスした「北海道の歴史」についても触れていきましょう。

 十勝開拓の始まりは寛文6年(1666年)、それぞれの藩が国となって動いていた時代に、十勝のアイヌと松前藩が国交を始めたことがきっかけです。

名前名前

先ほどの「屯田兵」は札幌方面を開拓しており、十勝地域に関与することはありませんでした。

その後、明治2年に静岡藩が今の十勝・帯広市を開拓されました(十勝の開拓は今でいう富山県・岐阜県からの移民によって開拓されたことになりますね)。

ちなみに十勝には寺、神社、教会などがいたるところに建てられています。その理由としては明治16年にキリスト教の宣教師が十勝に来て、移住してきた子供やアイヌの子供たちに勉強を教えてたという背景が挙げられます。

十勝を訪れる際は、是非これらを注意深く観察してみ下さい!

Point

・1666年に結ばれた国交

・「屯田兵」は十勝地方には関与しなかった

・他国から来た文化と建物

北海道開拓のキーワードは「馬」だった

北海道の開拓は人間の力だけでは非常に困難でしたが、そんな中「馬」を利用した開拓に注目が集まりました。

当時の開拓民にとって、馬は力強い相棒で家族のような存在だったと言われています。種を超えた愛情で結ばれていたことが見て取れますね。

たまに逃げ出して野生化した馬を北海道馬(どさんこ)と言いますが、この名前をチラホラ耳にする方も多いのではないでしょうか?

色んな苦難を乗り越えた馬たちの子孫、それが漫画・アニメ・ドラマになった銀の匙に出てくる「ばんえい競馬です。

画像:ばんえい競馬

そして開拓に協力してくれた馬たちは、家族として今でも十勝のあらゆる神社に祀られています。

例えば帯広神社では「馬頭観音」の彫刻が建てられていたりするので、是非チェックしてみてください!

北海道開拓と動物の関係

開拓時代は、常に危険と隣り合わせの生活でした。

特に蝦夷オオカミやヒグマなんかは非常に危険な存在として認知されていたと言われています。

しかし、アイヌは植物、動物、物、これら全てに命が宿ると信じ、共に共存する道を目指しました。

その名残により、現在は「サホロリゾート ベア・マウンテン」(ヒグマのサファリパーク)や「帯広動物園」などでは自然のヒグマたちを間近で見ることができたりします。

北海道十勝の食文化と絶品グルメ

ここからは十勝の食文化について触れていきましょう。

十勝では、開拓時の補助として馬と豚が連れて来られていました。文献によると、その当時の生活は大変貧しく、豚と同じ食べ物を食べていたとも言われています。

そのことから、豚は大切な存在として十勝平野の大自然で育てられてきました。開拓たちの苦労と十勝の大自然の力で美味しい豚肉を作り、脂分だけでなく甘みもある極上の豚肉が完成したのです。

今では十勝・帯広の名物飯として広く人気を博していますね。

画像:十勝帯広名物の豚丼
十勝帯広名物の豚丼

豚肉の名産地としても知られる帯広・十勝ですが、味の追求はものすごく徹底したものがありました。

十勝の料理人十勝の料理人

「もっと美味しく食べれるにはどうしたらいいか?」

と研究を繰り返した結果、昭和8年にうな丼の甘いタレを改良、また醤油ベースの甘いタレをしっかりと漬けて焼く豚丼が生まれ、これが後に名物となりました。

私も食べましたが病み付きになりそうな程美味しいです!!!

まさに十勝の歴史、先人たちによる味の追求が生んだ一品といえるでしょう。

もちろん他にも豚の名産地だから出来る「カツ丼」や、日本で初めてホワイトチョコレートを作った「六花亭帯広本店」など、十勝のグルメは非常に豊富でバラエティーに富んでいる印象が強いですね!

画像:六花亭のマルセイバターサンド
六花亭のマルセイバターサンド

Point

甘みのある極上の豚肉

大自然で育てられた豚肉

改良を重ねた醤油ベースの甘タレ

十勝以外でも食べれる!北海道の絶品グルメと観光名所

せっかくなので、十勝以外の「北海道グルメ」についてもご紹介いたします。

北海道で特におすすめのグルメは下記の通りです。

十勝以外の北海道グルメ

・さっぽろ二条市場

・網走・サロマ湖の生牡蠣カキ

・網走産オホーツクサーモンザンギ丼

食の台所「さっぽろ二条市場」

画像:さっぽろ二条市場

札幌にある二条市場は、屋内に食堂を併設したグルメスポットとして高い人気を博しています。

二条市場は明治初期に建てられ、当時は「二条魚町」と呼ばれていました。石狩浜や石狩川に漁に出て、釣った魚を売り出したのが始まりと言われています。

その後、魚を料理する食堂や居酒屋が建てられ、今の二条市場へと変化していきました。

札幌にお越しの際は、是非とも新鮮な海鮮を堪能してみてはいかがでしょうか!

佐呂間町の名産・サロマ湖の生カキ

画像:佐呂間町の名産・サロマ湖の生カキ

北海道オホーツク海岸のサロマ湖は、北海道で1番大きい湖として知られています。

しかも海と繋がっていおり、淡水と海水が混ざり合う事で豊富なミネラルが生み出されているのです。

画像:調理後のサロマ湖の生カキ

そしてサロマ湖はカキやホタテなどの「養殖発祥の地」ともいわれていますので、魚介類に関しては非常に期待の出来るグルメスポットでもあります。

北勝水産のホタテバーガーなど、「ジャンクフード」×「魚介類」の組み合わせも魅力的な一品ですね。

画像:北勝水産のホタテバーガー

また佐呂間町を訪れるのであれば、是非ともこれら天然の味を体験してみてはいかがでしょうか!

網走産オホーツクサーモンザンギ丼

画像:網走産オホーツクサーモンザンギ丼

網走産オホーツクサーモンは、刺身や寿司にして食べても口の中でとろけるぐらい最高に美味いです。そのオホーツクサーモンを天然ダレで漬け込んだ最高一品が「ザンギ」です。

ザンギは通常、上記画像のようにチキンとして食されますが、サーモンとザンギ丼の組み合わせも最高の一品と呼べるでしょう。

食後は北海道オホーツク「流氷」が観れるかも

ちなみに、北海道オホーツクでは「流氷」が現れる事でも有名で、その上で生活・子育てをするアザラシなどを見ることが出来ます。

画像:北海道オホーツクの流氷

また北海道で見られる「キタキツネ」や「オジロワシ」などは、昔はこの地に存在していませんでした。恐らくこれらの流氷に乗ってシベリアからやって来て、北海道で独自の進化を遂げたのでしょう。

網走の面白い歴史とは?

網走の話がでてきましたので、ついでの網走開拓の歴史などもご紹介したいと思います。

網走を含む北海道の歴史は古く、縄文時代が終わった後、本土とは異なる文化を育んできました。

北海道の文化と歴史

・「続・縄文時代」の突入

・5世紀頃→オホーツク文化9世紀〜13世紀まで続く

・擦文文化(さつもんぶんか)の誕生

その後、擦文文化の影響を受けて、北方領土の生活スタイルと北東アジアの文化を取り入れた「トビニタイ文化」が誕生しました。

網走監獄を立てたのは誰?その歴史とは

江戸時代が終り、明治時代元年から20年たった頃、網走の開拓は他の地域と比較して相当遅れていました。

そんな中、江戸幕府制度が明治天皇制度に変わり、下記のような政治的流れが起こりました。

・西南戦争や佐賀の乱で江戸幕府側についていた人達は「国賊」、今でいう国家反逆罪というような扱いを受ける

・その男たち約50人近くが網走にやってくる

・彼らの手により1,200人を収容できる監獄が建てられる

これが釧路監獄署・網走囚徒外役所、現在の「網走刑務所」です。

画像:網走刑務所

1,200人の囚人を収容する刑務所ということもあり、看守の数も相当なものでした。

そして後に看守の家族も網走へ移住したり、商売や店屋も開かれ始め、他の地域と同様に発展を遂げることになります。

皮肉にも刑務所のお陰で栄えた町といえるでしょう。

Point

・独自の発展を遂げた文化

・本土から来た男たちによる網走建設

北海道開拓の歴史と絶品グルメ・まとめ

以上が北海道開拓の歴史、グルメについてのご紹介でした。

北海道の魅力や食文化は、正直まだまだ語りつくせないぐらい膨大です。

もし十勝に限定したグルメ・観光地を探している方がいましたら、下記の記事もぜひお読みください。

地元民おすすめの【十勝観光スポット7選】と絶品グルメを徹底解説!

今回ご紹介したお話もほんの一部にしか過ぎませんので、また別の機会がありましたら北海道の歴史や魅力を改めてご紹介したいと思います。

追記:もし今回の記事にも出てきた「北海道・十勝」での暮らしや、農業体験、移住などに興味のある方には、下記の記事もオススメです。こちらも是非合わせてお読みください。

【体験談】都会女子が北海道で農業をしてみた・住み込みで地方移住して分かったこと