日本には古来から様々な妖怪や怪異の伝承、目撃記録が残されているが、中でも日本人に最もゆかりのある生き物と言えば、天狗が挙げられる。
日本では「天狗の仕業」といった言葉がある通り、恐ろしい妖怪とみされる場合もあれば、神に近い存在として信仰されているケースも多々ある。
後ほど説明するが、関東近郊の高尾山や愛宕山などでは、天狗の目撃情報の記録が存在し、その伝承を匂わせる痕跡も今なお残っているのだ。
今回は、そんな日本に今も存在する「天狗伝説が残るスポット」を解説しながら、天狗が本当に存在したのかどうかをひも解いていきたいと思う。
そもそも天狗とはどんな存在?
日本人であれば、天狗の見た目に関しては言わずとも理解していると思うが、一先ずその概要を説明しておく。
天狗とは赤顔に長い鼻、修行僧のような身なりをした人型の妖怪として知られている。
山に出没したり、時には空を飛んでいたりなど、真実が確かではないが、各地域で天狗の伝承が古くから存在している。
日本最古の天狗の目撃情報
天狗の伝説は日本各地に散見しているが、その始まりは日本書紀の中にて記載されており、下記のように述べられている。
飛鳥時代(637年)都の空を突然雷のような尖い音をたて、東から西へと移動する星が現れた。
当時の人々はこれを流星の音と捉える人もいたらしいが、中国の仏教に詳しい飛鳥時代の学僧「旻(みん)」は異なる見解を称えた。
「この雷鳴のような轟音は雷ではなく、天狗の吠え声で流星と思われた星はなんと天狗だった」
この学者である旻(みん)は当時の中国王朝「隋(ずい)」にて24年間仏教などを学んだことから、天狗の元ネタは中国由来の可能性もあるが、今となっては上記の証言を嘘か本当か確かめる方法はない。
しかし、これが日本の記録上最古の天狗に関する目撃情報となっていることは確かだ。
高尾山に残る天狗伝説
天狗にゆかりのある地は日本各地に点在しており、今なおその痕跡をたどることができる。
例えば、東京の高尾山・薬王院は特に天狗伝説と深い結びつきがある場所だ。
高尾山薬王院は744年に聖武天皇の命令により建てられた祈願寺であり、東国の鎮護を目的として創建された。
また、1375〜78年の間に京都から来た俊源大徳という人物により高尾山では山岳信仰も広められた。
その後、高尾山は関東屈指の霊山としても広く知られることとなり、山伏と呼ばれる僧が修行に励んだといわれている。
「高尾山ではかつて数多くの僧が修行を行った」
一説では高尾山で修行する僧、いわゆる山伏の格好をした修験者達が天狗と間違われてしまい、目撃情報として残った説もあるのだ。
この山伏の来ている胴着や身なりも天狗と非常に似ているため、この説はかなり濃厚だと考えられる。
山伏とはどのような存在だったのか?
山伏と天狗はかなり近い相関関係にあったといっても過言ではない。
例えば、相原悦夫氏は著書「高尾山薬王院(2000)」にて、天狗と山伏の関係を下記のように述べている。
山伏の修行を通じて会得する術や威力などが天狗に置き換えるような考え方から山伏が天狗の姿をモチーフに作られたことも想像できる
高尾山薬王院(2000)
つまり、先ほど解説した通り、山伏=天狗説があれば、その逆パターンも推測できるということだ。
山岳信仰と飯縄大権現
高尾山薬王院の付近には、数多くの天狗の姿をした像が立ち並んでいる。
高尾山には5体の神が合体した「飯縄大権現」という神様が祀られており、かつてはあの武田信玄や上杉謙信なども信仰していたといわれている。
画像を見てもらえば分かるが、その姿は天狗とどことなく似ている。
これは飯縄大権現の一部である「カルラ天」という、大きな翼と鳥のようなくちばしを兼ね備えてた神が混ざっているからだ。
相原悦夫氏(2000)によると、カルラ天=天狗説は下記のような説が出ているといわれている。
- ①カルラ天を含む5体合体の神々は、インドなど海外から伝わった
- ②後に日本の風土に合わせた形となった
- ③後に天狗のモデルになった
上記はあくまでも一説として考えられているが、日本書紀に書かれた「轟音を立てながら流星のように空を移動した天狗」と特徴が重なる部分も少なからず見受けられる。
高尾山の天狗の正体
他にも高尾山には古くから天狗の目撃情報や下記のような様々なエピーソードが数多く存在している。
- 山伏=天狗のモチーフ説
- 厳しい修行を重ねた山伏が死後山の聖者になった姿説
- 天狗が山賊を退治したなどの逸話
また、山で起きる不思議な出来事は天狗の仕業とされることもあり、徐々に人々の間で神格化されていったとも考えられている。
その根底を掘り下げてみると、やはり高尾山の山岳信仰との結びつきが深いことは確かだ。
天狗と遭遇した人物・寅吉
ここからは別視点から天狗の謎を紐解いていく。
日本にはかつて天狗とともに修業した少年「寅吉少年」の実体験なども語り継がれてるのだ。
彼の話によると、ある日を境に天狗の存在する不思議な世界「仙境」とこちらの現世を行き来することが可能となり、その中で彼は天狗の住む場所に行ったと言われている。
その一つが茨城県・笠間市にある愛宕山だ。
少年はこの山には13人の天狗が住んでいると証言したのだ。
実際に愛宕山には「13天狗の祠」というものが現在でも存在している。
他にもこの寅吉少年は仙境での生活や、この世には存在しない生物や妖怪の話も言い残したと言われている。
寅吉の話は嘘か本当か
寅吉少年の話が嘘か本当かは定かではないが、江戸時代後期にこの少年が実在したことは確かだ。
というのも国学者、神道家として数々の功績を残した平田篤胤が実際に寅吉少年に天狗の世界での出来事を事細かく質疑応答し、それを著書「仙境異聞」として書き残しているからだ。
この著書は現代語に訳されて「仙境異聞」という名前で出版されているため、誰でも手軽に読むことが可能だ。
本当に愛宕山に天狗が住んでいたか、もしくは修行僧と見間違えただけなのかは不明だが、国学者の心をも動かすほど、当時は天狗伝説が話題になっていたことが伺える。
天狗伝説とゆかりの地・まとめ
今回は関東、主に高尾山周辺地域の伝承に基づいた天狗伝説を紹介したが、天狗の伝承はまだまだ日本各地で語り継がれている。
例えば東京・御嶽山には天狗が腰を下ろして座っていた「天狗の腰掛け杉」、神奈川大山の「天狗の鼻突き岩」なども存在する。
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これらはあくまでも一例に過ぎないが、やはり日本と山と天狗は切っても切り離せない縁で繋がってると言えそうだ。
参考文献リスト
- 外山 徹 (2015/1/30) 「高尾山薬王院の歴史」 ふこく出版
- 外山 徹 (2011/11/20) 「武州高尾山の歴史と信仰」 同成社
- 相原 悦夫 (2000/5/11) 「高尾山薬王院」 ヒラツカ印刷社